その日は朝から騒がしかった。
研究者たちのドタバタとした足音と不審な木々のざわめきでトールとシャサは目を覚ました。
なんだかんだで疲れていたトールは昨晩、祝勝会を上げたあとぐっすりと眠っていた。
シャサもその隣でずっと眠っていたわけだ。
今は太陽が既に頂点へと到達しようとしている。
「うぅ・・・もう、日は拝まない誓ったのに・・・」
トールはいまだに重たいまぶたを瞬かせ何とか起き上がった。
頭の中に重りでも仕込まれたかのようにぐらついている。
体も全体に枷がつけられたようだ。
「えうぅ・・・眠いよぉ」
シャサは枕を抱えながら半分眠ったような表情で呟いた。
少し大きめのパジャマがずれてすそがダラダラと余っている。
そのずれを気にして直しながら立ち上がった。
「まぁ、起きちまったもんは仕方ない・・・昼飯でも食いに行くか」
トールは大きなあくびをするとドアノブをあけて部屋の外へと歩いていった。
その後をひょこひょことシャサが続いていく。
二人が居間に着くと研究者たちは押し詰め状態でテレビを注目していた。
通勤ラッシュの電車内も真っ青な人口密度である。
トールはそんな光景を無視するとテレビとは反対側の座布団にすわりちゃぶ台に突っ伏した。
その横でシャサはそのまま畳の上に倒れこんでいる。
「おはよう!」
ラスクはちゃぶ台の端を持つと思い切りそれを上に向かって跳ね飛ばした。
それは某有名プロ野球チームの星を目指す一家の父親の得意技。
ちゃぶ台返しである。
唯一、ちゃぶ台の上に乗っていたトールは吹き飛ばされ仰向けに転がる。
その上にニュートンの原理に従い落下してきたちゃぶ台が激突した。
「ぐぇ!!」
断末魔と共に見事、トールはつぶれたカエルがごとく動かなくなった。
「何時まで寝てるんだよトール。さっさと起きろ」
ラスクはまるで何事もなかったかのように電子ジャーを用意しご飯をつぎはじめた。
トールは無言でちゃぶ台を自分の上からどかすと元の位置に戻した。
そして、そのまま座布団についた。
「はい、ご飯」
ラスクはそういうとついだご飯と用意しておいた昼食を並べ始めた。
「あぁ・・・ありがとぉ・・・」
トールはご飯に箸をぶっさしてくらくらと頭を揺らし始めた。
もはや意識を保っているのもつらい状況だ。
「ツッコム元気もないとは・・・重症だね」
ラスクはそんなトールを見てつまらなそうに腕を組んだ。
そして、何かを思い出し口元をゆがませる。
「眼が覚めないなら眼を覚まさしてあげるよ。全国知名度ナンバー1ロリコン君」
ラスクがそういった瞬間、トールは眼を見開きちゃぶ台を叩いて立ち上がった。
そして、ラスクに詰め寄ろうと前に出ると新聞が差し出された。
その一面の見出しには自分のことが載っている。
トールはそれを奪い取るとその一面を端から端までじっくりと読み始めた。
「青き稲妻トール皇国軍入隊試験優勝・・・・って別にロリコンなどと一言も・・」
トールはそういって顔を上げるとその目の前にそこには
トールとシャサが仲良さそうに寄り添い寝ている画面が映し出された。
更にシャサのパジャマが少しずれて胸が見えそうになっている。
「ヨッ!ロリコン。良かったな。これで全国の幼稚園児から小学生の娘さんがいる親たちから
ラブコールがかかってくるぞ。うちの子に手を出さないでくださいって」
ラスクは天使のような微笑で悪魔の如き台詞をはいた。
トールが真っ白に燃え尽きていく。
さながら世界チャンピオンと死闘を繰り広げたボクサーのリングサイドと言ったところか。
「・・・うわぁ!人権侵害だ!プライバシーの侵害だ!オレはロリコンじゃねぇ!!」
トールは新聞を引きちぎり心の奥底から叫んだ。
それは誤解だと。
「流れちまったものはしょうがないさ。たった一日の英雄だったな」
ラスクはやさぐれた笑みを浮かべながらトールの肩を叩いた。
その表情は心底嬉しそうだ。
「ぐあぁぁぁぁぁぁ!!」
トールは頭をかきむしりながら錯乱している。
今まで積み重ねていた人生が根底から覆される圧倒的な絶望。
社会的に抹消されたも当然だ。
これからあいつはロリコンだと後ろ指をさされ小学校と幼稚園の半径2キロ圏内の居住が不可となり
PTAから激しい罵声を浴びせられプラ板持った市民たちがデモ行進を始めるんだ。
「おい、ラスクあまりいじめるのはやめろよ」
一人の研究者が天使の笑顔で悪魔の高笑いを繰り広げるラスクをとがめる。
その言葉にトールは救いの光を見た気がした。
あれもこれも全部、ラスクの張った悪戯なのではないか?
そうだ、そもそもあの寝室の映像は明らかに法律違反だ。
「そもそも、あのVTRはお前が送ったんじゃないか。トールの宣伝映像だと偽って」
その言葉にトールの中の何かがキレた。
激しい怒りの炎が空間すらもゆがめる勢いで燃え上がる。
悪鬼すらもにらみ殺せそうなほどに真っ赤に血走った瞳から赤々とした血涙が流れていた。
「ラァスゥクゥ・・・・人としてやっていいことと・・悪いことが・・・」
トールはちゃぶ台の脚を掴むと思い切り持ち上げた。
あれだけの重量のものをトールはまるでそこらへんの棒を持っているかのような感覚で振るう。
「ちょ・・ちょっと待ったトール・・・悪かった・・・僕が悪かった・・・悪ふざけが過ぎました・・・」
流石のラスクも表情をこわばらせ青ざめた顔で後ずさる。
恐怖で腰が抜けてもはや立つこともままならない。
そんなラスクに圧倒的な威圧感を放ちながらトールは歩み寄っていく。
今のトールは目の前に鬼がいようが悪魔がいようが打ち殺しかねないほどに危険だ。
「だ・・だから・・・僕の言い訳をきいて・・・お願い・・・聞いて・・・!!」
「あるだろうがぁ!!!」
トールは脚を大きく開き腰をひねって奥から前へと全身の力を使ってちゃぶ台をフルスイングした。
そして、そのままちゃぶ台はラスクと共に障子を突き破って作業場を何回かバウンドしてすっ飛んでいった。
機 鋼 神 王
第一章
〜戦士、立つ〜
第五話
薄幸の少女
「冗談?」
今も少々ご立腹のトールはがつがつと白米をかきこみながら話を聞いていた。
その研究者はうんうんと頷きながら話を続ける。
「あぁ、ラスクがビデオを送ったって話・・・ありゃぁ嘘だ」
トールはその話を聞くと口の中のご飯を思い切り飲み込んだ。
そして、自分のしてしまったことを思い出す。
いくら、怒りに我を忘れたからとはいえ・・・自分は・・なんて取り返しの付かないことをしてしまったんだろう。
後悔が心を締め付けるが染み付いてしまった手の汚れは洗い流すことは出来ない。
「だから、言い訳を聞けって僕は言ったんだ!!」
ラスクは顔面と腕に大きな湿布を張りながらもいたって元気そうな様子で叫んだ。
でも、痛いらしく涙目になっている。
そんなラスクの姿を見て一部の研究者は同情とは違った視線を送っていた。
「質の悪い冗談を言ったお前が悪い!」
トールはここに来てから愛用の青い箸をラスクに向けてビシッと言い放った。
その言葉にラスクは反論できない。
流石に質が悪すぎたと思ったのだろう。
「でも、冗談で良かったよ。あんなの見て私とトールが恋人同士に見られるのなんてやだもん」
シャサは心底、安心したという様子で呟いた。
それもそれで心外だと思いつつもトールは頷いた。
「まぁ、でもあのニュースが流れたのは本当だけどね」
ラスクのその一言が二人のときを止めた。五秒ぐらい
「・・ちょっとまてぇ!それは本当か!?」
トールはラスクに詰め寄る。
そして、襟首を掴んで強引にゆすった。
「イタイイタイ!本当に痛いからやめれ!」
ラスクは真剣に涙を流して叫び声を上げた。
流石に先ほどのアレと合わせてダメージは相当蓄積されているらしい。
「すまん・・・・だが、正直に話してくれないか?」
ゆするのはやめたがいまだに襟首は掴んだままだ。
「分かってるよ・・・確かにさっきのトールとシャサの朝の光景は全国ネットで放映されたさ。
でも、普通の人がそれでトールのことをロリコンだと思うの?恋人だと思うの?
せいぜい、兄妹とかそんぐらいにしか思わないよ。少し過剰に反応しすぎだよ」
ラスクのその言葉にトールは力なくその手を離した。
まさにその通りだ。
トールは改めてシャサの姿を見る。
小学生・・・下手をすると幼稚園児にも見えてしまうぐらいに小柄のシャサ。
それと一緒に寝てたからってそれでロリコンになるのか?
見えるかもしれないがそんな想像をする人は少ないだろう。
更にトールは美形だ。秋葉系キモオタならまだしもそんな幼女に手を出すほどに餓えてるとは思われないだろう。
「・・・だよなぁ・・」
トールは冷静になりラスクのことを見た。
顔と腕に張られている白いものが異様なオーラを放っているように見える。
「言うことは?」
「・・・すまん」
「分かれば良い」
ラスクは満足したといった様子で頷いた。
そんな中、シャサは少し不満げな表情で座布団を抱きかかえていた。
「にしても凄い評判だよトール。シャルドゥ、ラルフに次ぐ英雄となる人ランキング第一位。
抱かれたい男ランキング第一位。抱かれたい男ランキング第一位。(観客者調べ)」
ラスクは週刊誌を引っ張り出すと読み始めた。
いつの間に集計したのだろう・・・その情報の信憑性に疑問が残る。
「・・・なんで抱かれたい男ランキングを二回も・・?」
「・・・聞きたい?」
「いや、やめとく」
トールは悪寒を感じ即座に却下した。
「あぁ、そうそう。今日の午後に入隊式があるってさっき城の兵士さんが知らせに来たよ」
「あぁ・・・って早いなスケジュール!?って午後って何時からだよ!?」
トールは二回驚いている。一々、リアクションが大げさ気味だ。
「二時から」
「って、今一時じゃん。後一時間しかないぞ!?」
くつろいでいたトールは驚いて立ち上がった。
折角、入る気が起きたというのに早々に遅刻では即刻除隊処分になりかねない。
慌てているトールとは反対にラスクは落ち着いた様子でお茶をすすっていた。
「大丈夫、大丈夫。もう直ぐ城の人が車で迎えに来る予定だから」
「それを早く言え!」
慌ててたトールは立ち止まるとその場に座りお茶をすすり始めた。
「まっ、とっくに来ててバーンの搬入も終わって後は僕たちが乗るだけなんだけどね」
「いい加減、一から躾しなおしたろうかぁ!!」
朝からのことですっかりテンションのあがってるトールは何時もよりもアクションが大きかった。
「全く・・・」
トールはラスクへの怒りを胸に工場のドアを開けた。
そして、直ぐに閉めた。
「あのぉ・・・あのカメラ持った人たちは一体?」
「あぁ、朝から来てるTV局の人だよ」
何、当たり前のことを言った様子でラスクが答えた。
「そういや、TVに沢山この研究所映ってたなぁ・・・まだ、いたんだ」
今の光景に先ほどまでの怒りも吹っ飛んでしまったトールはため息をついた。
このドアが完全防音性でなかったならどれだけの公害問題に発展しかねないほどの騒音が聞こえるのだろうか。
想像しただけで体の力が抜けていく気がした。
「裏口もびっしりとまるで追い詰めた獲物を付けねらう狩人のごとく」
狩人がびっしりといられても困る。一人でも困るが・・・
「何処から出るの・・?っていうかどうやって搬入を終了させたの?」
「あぁ・・・・・死んでなきゃいいよね」
「!力ずくか!?力ずくなんだな!?」
「僕の道を邪魔するものは全部敵だぁ!」
何故か暴走モードに入ってるラスクが叫び声を上げた。
トールの脳裏に血の海に沈むレンズの割れたカメラがよぎった。
トールはその誰とも知れぬ犠牲者の冥福を祈り手を合わせた。
「まぁ、という訳で何とかあの群がるジャーナリストども一掃出来たわけだが」
ラスクが説明口調で工場前に広がる草原を背に呟いた。
「どうやったかなんて口が裂けても言えないよ」
シャサが青い顔をして静寂なる世界を見つめながら呟いた。
その静けさがかえって不気味さをかもし出している。
太陽が落下を始めている。
はっきり言ってもはや時間は少ない。
「お急ぎください。皇王さまをお待たせるような事態になりましたら除隊も免れないと思ってください」
運転手としてよこされた兵士が未だに工場を見つめて立ち止まっているトールを急かす。
その声に反応しトールは青い髪を風に揺らしながら一歩一歩とその家から離れていった。
偶然であったシャサと転がり込んだ仮の我が家。
初めての街をすごした場所。あまりにも短い間だったがその間に思い出は出来た。
そこはあまりにも居心地が良すぎて・・・体が離れてもまるで心はそこにとどまっているようだ。
だが、それでも強引に足を前に出し歩みだしていく。
そこはもう、居場所じゃない。その先に新しい居場所がある。
だから、歩いていけるのだ。
だから、シャサはその後姿を見送ることしか出来なかった。
成り行きの関係・・それが長く続くとも思っていなかった。
別れは何時かやってくるものなのだから・・・
赤い少女にとってはそれが良いことなのだ。
別れが何時か訪れるものなら情が移らないうちのほうが良いのだ。
車の目の前でトールは立ち止まった。
「シャサ、何でそんなところでボーっと立ってんだ?」
トールは不思議そうな顔をして尋ねた。
「えっ・・だってトール行っちゃうんでしょ?」
シャサは呆然とした様子で尋ねた。
「あぁ、行くぞ」
「だから、見送り」
シャサがそう呟くと突然、ラスクがその彼女の背中を押した。
「えぅ!何、ラスク?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
ラスクに促されるがままにシャサはそのまま前に押し出されていく。
そして、段々とトールが近くなっていく。
「お前、城で働くこと決まったから」
「えぇ!!」
トールとシャサの縁はそうそう簡単に斬れるものではないらしい。
剣の祭壇
そこはかつてシャトレーゼを救ったとされる剣の神アカナギの銅像が置かれた部屋である。
赤い絨毯が敷き詰められシャトレーゼの象徴たる銅をふんだんに使った装飾品で飾られている。
鮮やかさにかけるが十分に派手な部屋であった。
重苦しい雰囲気流れるこの場所こそが皇国軍入隊したものが始めに訪れる場所。
誓約の儀式と呼ばれる入隊式が行われる場所である。
そこにゼンとトールが立っていた。
「トール・・・今この時よりお前は平民としての使命と権利を捨てこの国を護る剣となる。
己を鍛え磨き上げ鋭くなれ、国と民の命を脅かす闇迫りし時、我らの剣としてそれを打ち払う。
お前は剣・・意思在りし剣だ」
ゼンは儀式のために用意された装飾剣をトールの喉元につきたてた。
「我、トールは皇王ゼンの剣となり。その力、全ては国と民のためなり。
かけることなく折れることなくその刃、大地に突き立てることをここに誓います。
剣の神アカナギの名にかけて」
トールはその両の指を剣の刃に軽くひいた。
人差し指の皮膚が切り裂かれ鮮血が刃を伝って流れていく。
「剣の神アカナギの名に恥じぬ剣となると信じ、お前の武器庫への陳列を許可する」
ゼンは剣を真上に掲げた。
赤い血が光に照らされ鈍く光っている。
トールはそのまま頭を下げ誓約の儀式を終えた。
「いてぇ」
剣の祭壇から兵士の待機所に向かう途中の廊下でトールは包帯が巻かれた指を眺めながら呟いた。
説明で指を切ると聞かされ驚いていたが意外とやれるものだ。
何気に兵士がカンペをもって後ろで立っていたし。
意外とおおらかなのかもしれない。
「結構、派手に斬ったようだな」
そんなトールの元に大きな赤いマントを翻したオレンジ髪の大男が歩いてきた。
その腰には二本の刀が差してある。
トールにはその顔に見覚えがあった。
トールに目標を見せた男。最強の兵士、双璧の英雄の通り名を持つシャトレーゼの英雄が一人
「ラルフ大佐」
「ご苦労だったなトール少尉。さすがは優勝者、今回の中で一番の切れ味だったらしいな」
「・・・えっこんなに斬る必要ないの!?」
「当たり前だ。お前の傷は普通ならしばらくはものがもてないぐらいだ」
ラルフにそういわれトールは手を握ったり開いたりしてみた。
痛いがものがもてないほどではない。
「華奢な外見に似合わず頑丈だな」
「昔から鍛えてますからね」
「なるほどな・・・まぁ、ほとんど血を出さないぐらいに臆病者や。指をぶった切っちまうぐらいに
バカじゃなくて助かったがな」
「・・・指、ぶった切った人いるんですか?」
「何年か前にいたらしいな。それが問題で一時期この儀式がなくなりかけたが・・・まぁ、今じゃ
この通りなんだがな」
問題はもみ消されて終わってしまったらしい。
その人も誠意と忠誠心を見せたかったのだろうが行き過ぎは良くなかったようだ。
「自分が斬れてりゃ意味ないよな」
剣となるものが剣に負けてては話にならないということだ。
「まぁ、それよりもお前にはこれから城内の把握と体力トレーニングを兼ねて走りこみをしてもらう」
「はっ・・!?今、入隊したばっかりなんですけど・・・」
そのあまりにもな唐突ぶりにトールは愕然とした。
今日は色々、あってまだまともに寝てないというのに・・。
「ぐだぐだ言うな!貴様はオレ様が一から鍛えなおすと決めたんだ。5時までに全部回って兵士宿舎に来い!」
ラルフは刀の一つを抜くとトールの喉元に押し付けた。
その動作の速さにトールは反応できず薄皮に当たる鋭利な刃物の感触に背筋を凍らせた。
「わ・・分かりましたぁ」
トールはそういうと逃げ出すがごとく廊下を突っ走っていった。
ちなみに廊下は走るの禁止だがラルフは別段気にしていない。
だから、怒られてもラルフには関係ないということになっている。
「こらぁ!!廊下を走るなぁ!!」
口うるさそうな爺さんが廊下を疾走しているトールに怒鳴りかかるがトールは無視した。
一応、上官命令だから自分に罪はない。怒られたら罪を擦り付けるだけだ。
そんな考えを抱きながらレンガ造りの廊下を走っていく。
頭上には蛍光灯が明かりを供給し人の視界を確保している。
窓は一切なくドアが続いている。
何に使うのか分からなかったがトールは自分には関係ないだろうと割り切り走っていく。
そして、しばらく走っていくとメイドさんたちが沢山いる場所にたどり着いた。
どうやら、メイドたちの休憩室らしい。
世にも珍しいものを見たような様子でトールはじっとそこを眺めていた。
別にメイドさんといっても若い人だけではない年季が入った人もいた。
それでも顔が悪いのはいない。流石に選考のときに落とされるのだろう。
不細工にお世話されても返って気分が悪くなるというものだ。
「・・・エロオヤジしかいないのか?」
なんとなく微妙な気分になってきた。
いいのかこんなところに仕えてて?
「おっ、あんたは青い稲妻さんじゃないか」
恰幅のいいおばさんメイドが一人歩いてきた。
格好は流石に若いメイドとは違い落ち着いたものだ。
それだけランクが高いともいえるかもしれない。
「えっ・・まぁ、そうです」
異名で呼ばれるなんて初めてのことにトールは少し嬉しかった。
なんとなく悪い気はしない。
「えっ本当!?」
「きゃぁ!本物よ。本物!」
「テレビで見るよりも全然、いい男じゃないの」
「私ファンなんですサインくださ〜い」
休憩中のメイドたちが獲物を見つけたハイエナのごとく群がってきた。
今まで経験のない大勢の女性に詰め寄られるという初体験にトールは戸惑った。
「えっ・・・」
少し後ろに引いてうろたえている。
「なにやってんだあんたたち!困ってるじゃないか!とっとと仕事にお戻り!!」
メイド長さんが一括するとメイドたちは蜘蛛の子を散らすように去っていく。
よっぽどこの人が恐いのだろう。
しっかりと教育されている。
「すまないねぇ。あの子達男に餓えてるのさ。ここは出会いが少ないから」
「えっ・・・でも、皇国軍の兵士がいるじゃないですか?」
「いやいや・・・いい男にだよ」
どうやら、皇国軍に顔がいい男は少ない様だ。
「はぁ・・・あっそうだ。シャサどうしてます?」
トールは思い出したように言った。
実際に思い出したわけだがシャサがメイドになってることを。
そう、トールはシャサに金を返させるためにこの城でメイドとしてバイトさせたのだ。
無茶苦茶なことをいきなり言い出したために流石に一部から批判の声が上がったが何故かシャサを見た途端に
その半数が反対意見を取りやめた。
後の半数はシャサが行く当てもないトールが保護した孤児という設定にしたおかげで納得させた。
ついでにトールの好感度も上がっている。
「あぁあの子かい?いい子だよ。でも、大変だね。上京したてで路地裏でまるでチワワのように震えている小さな幼女を引き取ったなんて。
世の中もまだまだ捨てたもんじゃないよ」
どうやら、メイド長さんはこの手の感動系の話に弱いらしい。
本当のことがばれたら恐いなと思いつつトールは苦笑していた。
もし、メイド長さんが言うような状況だったら一部の変態が連れ去りかねないが。
逆に噛み付きそうだななどとトールは思った。
「そうそう、シャサちゃんね。流石に私たちの仕事をこなすのは酷だから特別な仕事を任せたのよ」
「特別?というとスペシャル?もしくはニュータイプ?」
「良く分からないけどそんなものよ」
ニュータイプな仕事ってなんだよ?
「で、何処で働いてるんですか?」
「それはね・・・・」
木漏れ日が強化ガラス張りの窓から純白のシーツを照らし出す。
その中に座ったまるで透けてしまいそうなほどに白い肌の紫髪の少女が楽しそうに微笑を浮かべた。
その目の前にはベッドの端に腰をかけたメイド服姿の赤い髪をツインテールにした少女が元気いっぱいの笑顔を浮かべ口を開いている。
その様子を少し離れた位置で壁に寄りかかりながら白衣の限りなくやぶっぽく闇っぽい医者が眺めていた。
微妙なオプションが付いているがその光景はとても微笑ましく見たものすらも幸福にしてしまえそうなほどだった。
「でね、トールはそのままテーブルでラスクのことを打ったんだ」
「それは凄いですね。画面から見えてたトールさんと実際のトールさんって随分と印象が違うんですね」
どうやら、トールの話題らしい。
シャサは楽しそうにずっとトールについて語り続けている。
まぁ、他に話題もないのだろう。
幸いあの試合でメルもトールのことを知っていたので何の支障もなかった。
それ以上に興味を抱いていたトールの実態を知ることが出来てメルは嬉しかった。
シャサは滅茶苦茶でバカだと言っているけどそれだけじゃないと彼女の表情が語っていた。
そして、その行動の節々に優しさが感じられた。
「私も会ってみたいです。トールさんに」
メルは今まで以上にトールに興味を抱いた。
会って話しがしてみたいなんて思ったのは彼女にとって初めてのことだった。
シャルドゥおラルフも電撃的な勝利を収め入隊したが彼女が更に幼かった上にそれ以上に興味を感じなかった。
ただ、強い人。だけどトールはそれに加えて不思議だった。
彼の見た目はとても冷たそうで近寄りがたい。だけど、大口を開けて笑うし挑みかかるような目つきをする。
話に聞く彼はいつもふざけててそれでいて一生懸命な子供のような印象を受けた。
今までの人生で見たことのない人物だった。
それは彼女の目の前で話す一人の幼女も同じだった。
皇女である自分に何の気兼ねもなく話しかけしかも既に呼び捨てになっている。
一つ年下だけど不思議と全くいやな気分にならなかった。
あまりにも自然に現れて溶け込んでまるで以前から知っているような・・・
「ねぇ、シャサ。メルたち以前会いませんでした?」
「会ってないと思うよ。でも、私もなんか会ったことがあるような・・・?」
メルとシャサは二人で頭を抱え込んで悩み始めた。
何故か以前にあったような気がする。
だが、思い出せなかった。
それはとても重要なことだったかのように思えるのだが・・・
「何を揃って首をひねってるんだ?寝違えたか?」
部屋に一陣の風が流れ込んだ。
その風はシャサとメルの髪をたなびかせるとその存在を知らしめた。
そこには窓のさんに足を乗せて入ってこようとしている青い髪の不審人物がいた。
「ト、トール!?なんでそんなところから!?」
シャサは突然の来訪と意外な出現場所から困惑している。
「いや、ちゃんと扉から入ろうとしたんだぞ。だがな、兵士に止められた」
力いっぱい悔しそうなふりをしてトールが語った。
「だから、窓から・・・?」
「その通り。後出入り口ないしな」
諦めるという選択肢は存在してなかったようだ。
共通イベントだったのだろう。
「幾らなんでも皇女の寝室に不法侵入はヤバイと思うよ」
シャサもあきれ果てている。
普通に考えれば大犯罪だ。というか入れるのが可笑しい。
これが賊なら相当な大事件に発展しかねないところだ。
流石にビル三階分の高さの木をよじ登って移ってくるとは思ってなかったのだろうか?
「大丈夫だって・・・黙ってれば」
トールは遠まわしに口止めを要求した。
そんな口に封がされる。
銀色に輝くメスという名の・・・
「・・・何者だ?」
ひどく静かで暗い声がトールの耳元から直接鼓膜に送り付けれる。
そして、喉に押し付けれらた鋭利な刃物が冷たいぐらいに殺気を放っていた。
「・・・わぁ、まて話せば分かる。つい、出来心だったんだ!?」
「・・・・・・」
無言でメスにこめられた力が上がる。
「皇国軍少佐のトールだ。別にどっかの国のスパイでもないし幼い妹属性好きの変態でもないぞ」
言ってることが既に怪しかった。
ビーンはそのままメスで頚動脈を切り裂こうとした。
「やめてくださいビーン先生!」
それをメルの一括が止めに入り危ないものは離れていった。
本体ごと。
「まじめに死ぬかと思ったぞ・・・」
「まじめに生きてないからだよ」
しれっとした様子で鋭い突っ込みがシャサから発せられた。
「何を言うか、俺は何時だって真面目だぜ」
「そうだね。大体0時から7時ぐらいは真面目だね」
トールは大体そのぐらいの時間に眠ってます。
「ひどいぞ・・そんなことを言うような子に育てた覚えはないぞ」
「育てられた覚えないもん。育てられたくもないし育てられたらひねくれた性格になるもん!」
トールは育児才能がないと判断された。
それはそれでトールは結構傷ついている。
「それよりも何しに来たんだよ?」
「おぉ・・・お前がちゃんと真面目に仕事出来てるのかと皇女さまのお顔拝見」
トールはそういうとメルのほうを向いた。
澄んだ青い眼が小さくて細い少女を見つめる。
「始めましてオレの名はトール。こいつの保護者みたいなものだ。滅茶苦茶無礼者だけど気にするなよ」
トールはそういうとシャサの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「トールも無礼者だよ!」
シャサは上を見上げ唸るような目つきでにらみつけた。
「・・・・・・メルです。シャサとはもうお友達なんですよ」
「そうだよそうだよ。だから、全然無礼じゃないもん。トールはともかく」
シャサはメルのほうへと駆け寄ると調子を上げてにらみつけた。
生意気というか憎たらしい。
「なんだと。親しき仲にも礼儀ありって」
「言う資格なしだよ!」
本当のことなのでトールは何も言い返せない。
そんな二人のやり取りを見てメルは微笑を浮かべた。
本当に仲がいい二人、そして自分もそんな二人の空気に感化されてしまっているのを感じていた。
まるで昔からの友人のように話せる。
自分の体に架せられた重い楔が無くなってしまったかのような感じがした。
そう思うと突然に瞳から涙が溢れ出した。
それにトールとシャサは驚いてその口をつむいで注目する。
メルは慌ててその顔を手で覆った。
なんだかとても申し訳なくなった。さっきまでの空気を壊してしまった。
そのことが本当に彼女に涙を流させる。
「ど、どうしたの・・?」
あまりのことにシャサはかける言葉が見つからず尋ねるしか出来なかった。
「なんでもない・・・何でもないんです・・・嬉しいはずなのに・・・本当に嬉しかったのに・・
何で涙が出てくるの・・・」
メルは何も出来ずに何もわからず溢れる涙を止められなかった。
そんな彼女の頭に暖かい何かがかぶさる。
それはとても優しく慰めるように癒すように心の中に伝わってきた。
「いいんじゃないのか?人間、嬉しいときでも泣くもんだぜ」
メルは顔を上げた歪んだ視線からはっきりと見えた。
何もかも受け止めてしまえるほどの青が。
「うあぁぁぁぁぁぁ」
メルはトールの胸に飛びつくと関を切ったように泣き始めた。
トールはただその幼い少女の頭を軽くなでてあげることしか出来なかった。
目の前で呆然としているシャサ動揺に実はさっぱり事態を理解していない。
でも、優しくしてあげないといけないと本能か何かで感じ取っていた。
「ごめんなさい。突然、泣いちゃって」
「別に気にしてないよ。でも・・・なんで泣いたの?」
「それが良く分からないんです。まるで赤ちゃんみたいですね。いきなり泣き出すなんて」
メルは笑いながら言った。
「そうだね。メルはまだまだ子供だね」
年下に言われる筋合いはないと思うが。
「別に今は気分いいんだろ。だったらいいんじゃないか?」
ジャケットを涙でびしょびしょに濡らしたトールが言った。
ちゃっかり部屋においてあったふかふかの椅子に腰を落としている。
「えぇ、なんか泣いてスッキリしました。これからも泣きたくなったらお願いしますね」
「おう、そんなんで良かったらいつでも胸を貸すぞ」
任せろといわんばかりにトールは自分の胸を叩いた。
「トールさん・・・あ、あの・・・もうひとつ・・お願いがあるんですけど・・・」
メルは顔を赤らめながら恥ずかしそうに言葉を詰まらせながら言い始めた。
「オレが出来ることならある程度はいいぜ」
出来てもダメなことがあるらしい。
「お兄様って呼んでいいですか?」
メルは上目遣いに頬を赤らめながら静かに言った。
トールはその予期せぬ言葉にまるで後頭部を鉄バットで殴られたかのように困惑する。
お兄様?それは義兄弟の杯を交わすということか?いやいや、そんな男くさいことではない。
純粋にただ兄のように慕ってくれるということだろう・・・
だが、一国の皇女様に?しかもこんな美少女に!?
トールの目覚めてない何かが強引にたたき起こされそうになっている。
だが、それを何とか理性で振り切りトールの意識は回復した。
「・・・別にいいぞ。それぐらい」
「本当ですか!」
メルは心底嬉しそうな表情で叫んだ。
シャサはそんなメルのことを理解しがたい様子で眺めていた。
トールをお兄様と呼んで何が嬉しいんだろう?と
その時、部屋にくくりつけられた柱時計が鳴り響いた。
その音をトールは聞き流そうとして何かを思い出す。
そういえば何で自分は城内を歩いて・・・いや、走っていたのだろうか?
全てを思い出し電光石火の振り向きで時計を凝視した。
時計は丁度6時を指している。
約束の時間は5時だ。
既に一時間もオーバーしている。
尚且つ、ほとんど城の中を回っていない。
「やべぇ、二本の刀の錆にされてしまう!」
トールは立ち上がるとすぐさま窓のほうへと走っていった。
そして、身を乗り出すとメルのほうを振り向いた。
「また、明日な」
トールはそういい残すと向かいの木に飛びつきそのままするすると下まで下がっていく。
そして、そのまま疾走していった。
「まるで風のようですね」
「はた迷惑な風だよ」
「でも、シャサがどうして好きになったか分かります」
「べ、別に好きじゃないよ。トールなんて!」
シャサは顔を赤くして否定している。
そんなシャサを見てメルは微笑を浮かべた。
その後、トールは何とか錆になるのを免れることに成功した。
代わりにラルフの地獄のような特訓が朝日が昇るまでに続けられたのだから。
錆になってたほうが楽だったかもしれない。
次の日からトールは言葉どおりメルの元へと通い詰めた。
連日の特訓でくたくたのボロ雑巾となりながらも必死に木を上ってやってくる。
時々、シャサに妨害を食らって落下するが命に別状はなかった。
ついでに時々、ラスクも便乗してやってくる。
その最初の友人の言葉が「遂に二股かこのロリコン色男が」だったから窓から蹴り落としていた。
二人の漫才のような掛け合いの会話はバラエティー性にはもってこいだった。
ただ、二人が会話してるだけでメルとシャサは口を開いて笑っていた。
室内で出来る遊びなどもいろいろとやっていたしラスクが持ってきた携帯ゲーム機でも遊んでいた。
時々、ビーン先生も誘うが全く反応しない。
だが、時々微笑をもらしているところを見るとなんだかんだで楽しんではいるようだった。
その日々はメルにとって凄く充実した日々だった。
その幸せは今までの11年と比べても遜色がないくらいだ。
今までほとんどなかった幸福が一挙に押し寄せて心の中を満たしているようだ。
メルはそう感じていた。
今まで苦しかったのはこの日々を迎えるためだったのだと確信していた。
だけど・・・人の幸せなど儚いものでしかないことなどそこにいる者は誰一人知らなかった。
ただ、一人を除いては・・・
「メル」
一人の女性が扉から入ってきた。
久方ぶりのシャサ以外の正式来訪者はメルの姉であり第一皇女であるレイだった。
「ヤバイ!ラスク、隠れるぞ!」
「了解!」
トールとラスクは手にしていたトランプを巻き上げると今更、隠れ始めた。
トールはビーン先生の白衣の中、ラスクは天井の壁の隅によじ登って耐え始めている。
ベッドの下とか隠れやすい場所はあるだろうに
「撃っていいわよ」
「分かりました」
侍女王はスカートの中に隠し持っていた小銃を取り出すと狙いやすいラスク目掛けて発砲した。
ラスクの股下、3cmのところに弾痕が残っている。
いくら、小銃でも当たり所次第では死ねる自身はラスクにはあった。
「すいません。もう二度としませんということにしますから、なにとぞ命は」
ラスクはすぐさま降参すると床に降りて土下座を開始した。
「情けないぞ、ラスク!お前はそれでも男か!」
思いっきりビーン先生を盾にしながらトールが怒鳴っている。
「絞め殺していいわよ」
「分かりました」
侍女王は瞬時にトールの背後に回るとその首を締め上げ始める。
「がっ・・・!ギブ・・ギッ!!」
トールはバンバンと侍女王の腕を叩くが相手にしてもらえてない。
そのまま落ちた。
「これはどういうことですか?」
レイはビーン先生をにらみつけている。
主治医であると同時に護衛でもあるビーン先生はトールたちを衛兵に突き出す義務があった。
いわば職務怠慢である。減給されてもクビにされても文句は言えない。
「・・・友達だ」
「貴方の?」
ビーン先生は首を横に振った。
そして、メルのほうを見た。
その眼がメルに訴えかける。
弁解してくれと言っているのではない。
自分で決めたことは自分で言わなければならないのだと言っているのだ。
そして、メルはそれに気づいた。
いや、それよりも先から決まっていた。
「メル・・・説明してちょうだい」
「・・・・トールさんは・・・私のお兄様なんです」
そのメルの言葉にレイは相当なショックを受けてそのまま硬直して背中から倒れた。
それを侍女王が支えて起こした。
「・・・!お父様にそんな隠し子がいたなんて!」
「ち、違います。そういう意味じゃなくて・・・トールさんはメルにとってお兄様みたいな存在なんです。
お姉さまみたいに優しくて頼りになって・・・それに面白いんです」
なんとなく面白いが強調されている。
「貴様!青い稲妻だかなんだかちやほやされてるのをいいことにわたくしのメルに手を出すなんて!!
幼女愛好家の変態趣味が!その血を体中から抜き出して世界中の役にたたせてあげるわ!」
そういうと途端に後ろの侍女王が巨大な注射器を取り出した。
何時も持ち歩いているのだろうか・・?
「ちょっと待て!いくら、血の気の多いと評判のオレでもそれは流石に・・・っつうか。
オレは狙ってもいないしハァハァもしてないぞ!濡れ衣だ!陰謀だ!冤罪だ!!」
トールは立ち上がって叫んだ。
あの眼はマジだ。このままおとなしくしてたら確実に殺されると本能が告げている。
「五月蝿い!貴様のような矮小で卑下な者がメルと同じ空気を吸ってるだけでもおこがましい!!
セクシャルハラスメントだけで死刑確定!」
「どんな無法地帯だよ!」
「知らなかったの?メルの部屋では私が法律よ」
「お姉さま!!メルの部屋ではメルが法律です!お兄様は無罪です」
メルは腹のそこから大声で怒鳴った。
突然にして初めてのことにレイは困惑する。
幼いころから大人しくて何時も自分に頼ってきたメルが反抗するなんて・・
今までの思い出や何かが全て崩れ去ってしまったような感慨を受けた。
「・・・メル」
ひどく、空虚でやるせない気持ちだけが彼女を支配する。
全部、貴方のためを思って言ってることなのに・・・なんで受け入れられないのだろう。
何時もは自分を味方してくれていたのに・・・
それともこんな男が良いと言うのだろうか?
自分よりもつい最近現れたこいつのほうが姉・・・いや、兄として勝っているとでも言うのか?
自問自答が心の中で繰り返される。
その時、メルは突然、咳き込み始めた。
そして、胸を押さえてそのまま倒れこむ。
「メル!!」
その場にいた者が一斉にメルの元へと駆け寄った。
「メル・・・貴方のせいよ!貴方がメルに無理なんかさせるから!!」
全てはそうだ。こいつが悪い。こいつさえいなければメルは倒れることなんてなかった。
メルが自分に反抗なんてすることはなかった。
全ては目の前のこいつが悪い。
異質なまでに青いその髪が癪に障る。その青はあまりにも澄み切っていて今にも引き裂きたかった。
「五月蝿い!今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ!」
トールは怒鳴った。
その表情は真剣そのものだった。
空色の瞳がまるで地上に降り注ぐ雷のごとく青く見えた。
その怒声と視線にレイは言葉を失う。
そして、気づく。自分がどれだけ愚かしいか。
責任の所在なんか今は問題ではない。
今はただ、メルの心配をしなくてはいけないのに。
「メル・・・しっかりしてよ」
シャサは今にも泣き出しそうな表情で震えるメルの手を握っている。
もはやその眼にはメルしか映っていない。
ラスクもレイのことなど忘れて心配そうに見守っている。
トールも視線をメルへと戻した。
「・・・・・・・」
既にビーン先生は診断をおえたらしくメルから少し離れた。
「どうなんだ?」
真っ先にトールが尋ねた。
その表情は不安げで直ぐにでも揺らいでしまうぐらいにおぼろげだ。
「・・・問題ない」
ビーン先生は一言だけそう告げた。
その言葉に一同は一気に溜まっていた息を吐き出した。
そして、そのまま脱力してその場に座り込む。
「ごめんなさい。わたくしメルのことになると周りが見えなくなるの」
レイは本当に申し訳なさそうにトールに誤っている。
「まぁ、極度のシスコンってことは良く分かりました」
トールは疲れた表情で呟いた。
あれはまさに鬼気迫るものがあった。
真剣に命が刈り取られる心配すらするぐらいに。
「シスコン・・・?」
「レイ様。妹が大好きすぎる病気のことです」
「あぁ、なるほど。そうですわね。言ってしまえば私も病人ですわ」
レイ皇女に妙な知識が身に付いた。
「でも、良かったよ。レイさんの誤解も解けてメルも無事だったんだし。万々歳だね」
シャサは嬉しそうにはしゃいでいる。
「にしても・・・前代未聞ね。皇女の寝室でおしゃべりなんて・・・しかも、一気に三人も」
「わ、私はお仕事だもん」
シャサは主張する。確かに言いつけられた仕事だから問題はない。
トールとラスクは別に言い訳する気もないので黙っている。
「貴方・・・その服装メイドですね」
今まで色々とメモを取っていた侍女王がシャサをにらみつけた。
「!」
まるで蛇ににらまれるカエルの様にシャサは固まってしまう。
「メイドとは主人に仕えるべきもの・・・それがタメ口とは・・」
タメ口をという単語を知ってるし使ってるのも驚きだが。
「え・・えうぅ・・・私はメイドだけどでも、メルの友達だよ」
「そうですね。メル様の友達です。ですが、レイ様は別に貴方の友達ではないですよ」
「!」
確かにその通りだ。
更に目上だし敬語は必須といったところだ。
「そこで笑ってる二人もです。この城で・・いえ、この国で暮らす以上は最低限のことはわきまえなさい」
厳しい口調が二人に投げかけられる。
「いいのよシェル。メルのお友達ですもの。それにトールは私の弟になるわけだし」
「は・・・」
「メルのお兄様なんでしょう。だったらそれはわたくしの弟も当然ということよ」
突然のことにトールはまたもや固まってしまう。
幾らなんでも無茶苦茶だ。
この勢いなら皇位継承権も夢じゃない気がしてきた。
「良かったなトール。美人の姉と可愛い妹がいっぺんに出来て。世界中の男が泣いて悔しがるぞ」
世界中の男のうちの一人は泣いて悔しがらずに笑っておちょくっている。
「まぁ、嬉しいけど・・・」
トールは二人の顔を見て呟いた。
案外、まんざらでもないようだ。
そんなトールのみぞおちに強烈なアッパーが決まった。
「ぐはっ・・・てめっ・・・シャサ!何すんだよ」
「デレデレしすぎだよ!」
シャサは腕を組んで完全にご立腹になっている。
「ふふ・・・面白いわね。これならメルとビーン先生が認めるのも分かるわ。ね、シェル」
「ですね」
二人の美女は新たにお城に加わった三人組を見て微笑んだ。
良くも悪くも彼らの存在はこの伝統にかびついたこの城を変えてくれる気がした。
既にメルの心を変えてくれている。
それも暗く真っ暗な海に沈んでいたのを掴み上げただけでなく青い空へと上らせてくれた。
唯一の気がかりであるメルのことを任せる人物がようやくそろった気がした。
病魔という敵に立ち向かうための医者ビーン先生。
メルのよき友人となるシャサ。
メルの心を支える兄となるトール。
そんな二人と共に場を盛り上げてくれるラスク。
最後に一人は別にいなくてもいいような気がするがそれでもいないよりはいい。
これでようやく国のことだけを考えていける。
レイの瞳にはこれからこの国を護っていくべき陰の功労者が目の前にいるように感じられた。
だが、やはり知らない。
幸せが儚いものであることを・・・
直ぐにでも消えてしまうシャボン玉のようなものであることを・・・
そう、ただ一人を除いて・・・